普段こんなことは書かないのですが
今回はどうしても、心に浮かんだことをお伝えしたいと思ってブログに書きます。
ここ最近の中で驚きそしてとても悲しい気持ちになったニュース。
大活躍中の若い俳優さんが自ら死を選びました。
大ファン!という方も多いでしょうし、そうでなくても
彼の活躍に元気をもらっていた方がいかに多いか、周りの友人知人の反応からもわかります。
はたから見ているととても幸せそうに、他の人が持っていない、特別ものを持っているように見える人も
苦労して、悩んで生きていたんだなと想像します。
今回の俳優さんのことは、真相はきっとわからないでしょうし、そもそも何が真相なのかというものあるのでここまでにしますが
わたしの経験に置き換えて少し考えてみます。
絶望するときってどんな時だろう?
どうやって立ち直っただろう?
苦しいとき、何が欲しかっただろう?
わたしが、これまでの中で一番「絶望」という言葉に近い経験をしたのは社会人1年目のとき。
会社をやめたくて、いろんな人に相談したけれど、すべての人に反対されたときです。
だれも、内容を聞いてくれなかった(ように感じた)
大きな会社にいることは素晴らしいこと、いい給料も大切。嫌なことはどこにだってあるんだから練習と思って我慢しろ。
そんな答えばかり返ってきました。
やりがいが感じられない、この仕事を続けても自分の成長した姿が想像できないという
わたしの不安を消してくれる人はいませんでした。
両親も「好きにしなさい」と言ってくれましたが、内心やめてほしくないと思っているのはわかりました。
どうやって、立ち直ったか。
かなり追い詰められました。
随分時間も経ったので話しますが、(このまま飛び込んでしまえば会社に行かなくていいな)と思ったこともありました。
ただ、その時に「そんなに嫌なら会社辞めればいいじゃん!」という声が聞こえました。
たぶん、心の中で。
ドラマか何かのセリフだったんでしょうか。女の人の声だったのも覚えています。
それで我に返って「そうか、やめればいいんだな」と急に安心して楽になったのでした。
振り返って、その苦しいときに何が欲しかったのか。
最初は理解者だと思ったのですが、のちに「指針」が欲しかったとわかるようになりました。
苦しみの本質、自分とはなんなのか?苦しくてもなぜ社会とかかわらないといけないのか。
それからは、ずっと生き方のお手本となる大人を探していました。
ちょうど10年後に、偶然インドのカメラの師匠と出会い、その人がわたしの指針になりました。
好きなことをして、自分も人も幸せにして、決して無理をしない生き方をする人。
そのためにどう生きるかを今も学ばせてもらっています。
そこからシャラート先生に出会い、アシュタンガヨガがわたしのもう一つの指針になっています。
本当に苦しまないとわからないことなのかもしれないけれど、
いざというときの助けになればと思います。
今度の連休の哲学4daysはそんな気持ちで開催します。
※写真は、インドのカメラ師匠のお母さんがお祈りをしながらジャスミンを花輪にしているところ。
こんな風に生きられたらいいなと思います。
ちょうどタイムリーなニュースがあったので
必要な方に届くとうれしいです。
片山リナ
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